本日の例会は善行者表彰が行われ、今年は今井書店 店主 高村志保様と八幡カオリ様が受賞されました。
高村さんからは城山三郎の昭和58年の作品「打たれ強く生きる」をご紹介いただきました。この本を通じて、進化の中でどのように生きるかを学び、皆にこの本が届けばいいと思い本屋を続けているそうです。本屋が子どもの居場所になればとお話しされました。
八幡さんは小津安二郎記念・蓼科高原映画祭をきっかけにして茅野市で活躍の場を広げ、現在こども食堂を廃州開催しているそうです。必要とされる子どもの居場所を皆さんに知っていただき、地域に根ざして支えていきたいとお話しいただきました。お二人の考えを活躍をお聞きし、刺激を受けました。
北澤幸男様
<北澤さんは北山芹ヶ沢の生まれで78歳、現在収穫体験農場の企画・実践および蓼科高原「私の農園」の主催代表として、野菜作りと収穫体験の実践を通じ来園する小中学生の団体や一般客・ファミリー客を対象に「食と農・自然との関わり」など指導・講話活動を行っています。>
私がやっていることには2つの柱があります。一つは40アールの畑に野菜を作り、都会の子供たち、家族連れの子供たち等、夏に別荘に来る人たちが子供たちに農業を体験させたいと言うことで、種まきから収穫まで、収穫をしながら農業の話、食の話をして子供たちに食べるものに関心を持ってもらいたいと言うことです。もう一つは270アールの畑(一部有休農地を借りて)で野菜を作りたいという72名の方々の面倒を見ています。その畑の区割をするのが大変で、高齢になるとその畑を維持するのが困難となるため、毎年区割りを変更することになります。体験農場はトウモロコシ、じゃがいも、野沢菜、ミニトマト等を作っています。無農薬有機農業なので作業がたいへんです。医療と同じで野菜も健康なものを作らないといいけません。健康な野菜は中身も十分に入っており、病気にもなりにくい。農薬を使用して作った野菜は、消費者がきれいなもの、形の整ったものを要求するため実際には野菜を痛めてつくったものです。例えば無農薬で野菜を作るのは、トマトが一番大変で18工程を要します。普通はそんなに面倒をみることはできません。行程を怠るとトマトがおこります。トマトの状態を見て手入れを調整します。野菜と話ができるようにならないといけないと思っていますがまだそこには至っていません。
畑を開放し、ハーブ茶を出し喫茶室を作りたいと思っています。アピオス茶というお茶を試作してみました。今年は7-8月には畑にいます。来ていただければただで美味しいお茶が飲めます。
インターアクトクラブ
ボーイスカウト
ガールスカウト
CHUKOらんどチノチノ
桑澤太郎君
短期交換留学プログラムで8月1日から8月25日までインドに行き無事に帰国しました。
成田からムンバイまでの直行便で行き、そこから車で約3時間のスートラという街が私の滞在したところです。人口450万人で人口密度は茅野市の65倍の港湾都市です。繊維産業が盛んでダイアモンドの加工もおこなわれています。移動は主にバイクやオート三輪です。路など至る所に牛が寝転んでいます。ホストファミリーのヤッシの家は弁護士の父と専業主婦の母、中学生の妹の4人家族です。通った学校はマリー・インターナショナル・スクールといい、日本では高校に相当します。1年から3年まで7000人。通学したのは20日くらいでしたが制服を作ってくれました。授業は最前列で受けました。授業内容はよくわからなかったけどとても楽しく過ごせました。食事は座って右手で食べます。普段の食事はカレーですが甘くておいしくはありませんでした。私を受け入れてくれたロータリーは、3600地区スートラ東ロータリークラブで、その例会にも出席してグジャラト語で挨拶しました。ロータリーのバス旅行に行きましたが、奥様方は日本と同じく親切で世話やきでした。
最後に短期留学のまとめですが、まず食事が合わず留学3日目に嘔吐し現在もまだ完全に回復していません。習慣の違いにもあまりなじめませんでした。またホストブラザーとも最後までなじめず、シスターともちょっとしたことで気まずくなりました。インド人はプライドが高く平気で嘘をつくことが多く、このことはインド人にとっては何でもないことであるということに気づくまではとてもストレスでした。良かったことは、学校は皆フレンドリーで話しかけてくれたり遊んでくれて楽しかった。また英語はかなり上達しました。ロータリーの親善大使としての役割も果たせました。滞在中多くの人と接することが出来、いろんな人と知り合え、インド人への理解が深まったのかと思います。ロータリーのおかげで普通なら出来ないインド留学をさせてもらい、自分は恵まれた環境にいるのだと気づき、この体験を生かし社会に役立つ人間になりたいと思います。ありがとうございました。